Nerve_ox_Quallly

 

 

 

 

 

 

■文法について

 この本『DIRRY』に使われている言語、CUALLY語。
この言語に対する私なりの考察をここに記そうと思う。

 QUALLY語は、ある一部の集落で、記録の為だけに使用されている言語らしい。その集落には、物事を記録し後世に伝える役割を持つ一族が存在しており、この本が日の目を見る様になるまでは、世界でQUALLY語を操るのは彼らだけだった。もっとも、その集落の人々がその言語を読むことは出来るようだったが(この本がQUALLY語で書かれている事を考える と、この本の作者もこの集落出身である事が予測できる)。しかし彼らは以前記された記録を読むだけで、自ら伝承を記すことは全く無いらしい。彼らの書庫には少なくとも1000年は昔の記録も残っているらしく、QUALLY語も同じように、1000年も昔からこの集落で使われ、今まで伝わってきたようだ。
 彼らは、この言語に名称を付けてはいなかった。QUALLYというのも、この言語が知られる様になってから、学者達が勝手に付けた名前だ。QUALLYというのは、この言語で『伝承』を意味する言葉だ。発音はクゥアリーとなっているが、実際QUALLY語に発音するという概念は存在しない。この言語は記録の為、そしてそれを読む為に用いられている言語なのであって、発音されることは全く無いのだ。各々が好きに捉えればいい、そういう言語なのだ。

 現在、ここまで広く広まったこの言語だが、各地で様々な人が好勝手にその言葉を認識している事だろう。
私はその事を嬉しく思う。



■QUALLY語についての考察

 QUALLY語の特徴は、文章の最初に、その文章の形式を指定する単語を付けるところだ。例えば、「何をしたのですか?」という文章なら、文章の形式は『疑問』である。なので、文頭には『疑問』を指定する 「susc」という言葉が付けられる。過去なら過去形式を指定する言葉 が、命令なら命令形式を指定する。

ex. 
過去|besien   命令|deere
断定|terminer  使役|causatived
否定|erreul    可能|caught

QUALLY語の語順は、以下の通りである。

 形式指定 + 主語 + 動詞 + 補語

この一連の流れで表記しきれない場合や、文章の形式が途中で変わる場合には、『>>』という記号を使い、その記号から文を続ける。


主語の省略は可能。
同士の最初と最後の文字を大文字にする事で、
その動作が継続、開始する事を表す。
動詞の最後二文字を大文字にする事で、受動態である事を表す。
主語の省略、動詞の省略は可能。
形式指定語はいくらでも重ねる事ができる。
形式指定語は時間に関する物が前に来る事が多い。

 


■exviewについて

 本文中で主題になっているexviewについて、解説と考察を記そうと思う。

 exviewは近年、急速に技術分野へ進出した空気中を漂う生物である。人間の目では認識することが出来ないそれは、10年前までは存在する事も知られておらず、全く違う分野の研究の過程で、偶然発見された。 ここ数年で、exviewを利用し、何の映像装置も要さずに空気中に映像を表示する技術も開発され、彼らは生活に欠かせないものとなりつつあるが、しかしそれは現代の話である。

 1000年も昔に書かれた筈の本に、なぜ彼らが登場するのだろうか?あまり一般的に広まっている訳ではないようだが、認識に成功までしているというのは一体どういうことなのだろうか。その答えは現在も議論されているが、結論が出ることは中々無さそうだ。

 exviewとコンタクトを取ることの出来る人間も、現在は確認されていない。本文中には一族だという表現が有るが、もしかしたら血筋が途絶えてしまい、コンタクトを取れる人間が居なくなったとも考えられるが、現実的な話ではない。

 

 

■文明の謎

 先にも書いた通り、この本では1000年前には存在する筈の無い技術についての描写が至る所に書かれている。ここでは、カメラや近年発見されたexviewが登場しているが、カメラは約300年程前、exviewに至っては実用化に至ったのは数年前の話だ。他にも、そういった所謂オーパーツ的な存在を見受ける事が出来るのだが、この話はそういった物が何故存在するのか、その謎を解明するに当たって手がかりとなる話だ。しかしその手がかりを掴んだ所で、導かれた答えはとても非現実的なものだ。なので話半分に聞いてもらえると有り難い。

 この話に登場するカメラは、少女が祖父から譲り受けたものだと書かれている。そしてそのカメラは、少女の祖父が『昔の技術を掘り返し、再現した』物だ。ここで疑問を覚える点は只1つ、昔の技術とは何なのか?という点だ。 私達からすれば、この本その物が昔の物、というイメージなのに対し、その本自らが、更に自分よりも古い物を提示してくる。もしそこで提示されたものがカメラなどではなく、それこそ1000年前に一般的に使われていたであろうと推測できる物だったならば疑問が沸く余地はない。しかしそこで提示されたのは、それ以上昔に有る筈がないものなのだ。

発展→→崩壊→→現代文明がゼロの状態に戻る
 →→この本で描かれている時代→→高度に発展 した文明

 この非現実的な疑問を解決するためには、やはり非現実的な答えを用意するしかない。問題がすでに理論を越えているのだから、多少答えが一般常識を越えてしまったとしても仕方ないだろう。私が考えた答えは、『一度文明が滅びている』だ。 その様な意味の分からない事を、と、お思いかもしれないがこの謎を解明するにはそれ位の事は考えなくてはならないのではないだろうか。

 図解するならばこうなるが、これが穴だらけの理屈だという事はお分かり頂けるだろう。まず、我々人間は、地球の誕生から生命の発現、人が文明を生み国を築くのを歴史として記録してきている。もし一度文明が滅び、その時代の記録が一切消え去ったというのなら、今伝えられている歴史上に大きな空白が出る事になる。この時代、生命は誕生しているはずだが、人間がどこで何をやっているのか分からない、そんな時代が有ったとするならばこの理論はまかり通り、この本は一躍その空白の時代を知る手がかりになる本として取り沙汰される事になる。恐らく、現状がそうでない限り、この考えは只の妄想なのだろう。


 

 

 

新城凍

 

 

 

 

 

 

 

 

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