01≫_PROLOGUE

 

 

 

 その夜の月は満月だった。
夏も終わり、日が暮れると肌寒さを感じだす季節だ。
そんな中、明かりも少ないビルの屋上に立つ人影が二つある。
吹く風を気にする風もなく向かい合う人影は、静かに話をしている様子だった。
しかしその声は消して大きなものではなく、風の音にかき消され当人達にしか聞こえていない。
片方は、スーツを着込んだ、表情を表さない青年だった。
それに向かい合って立つのも、年頃は同じぐらいの青年だ。
ただしスーツ姿の男と比べ、憔悴したような表情で、着ているものも薄着だった。
たまに苦笑を浮かべ首を振る彼は、ふらり、と揺れ背後の手すりに身体を預ける。
それを見やったスーツ姿の男が何かを口にする。
そして足元のおぼつかない男はそれに応じる。
風がやみ、周囲に静けさが訪れた。
それと同時に、スーツ姿の男はナイフを取り出した。

 

 先手を取るのが大事だ、と彼は思う。
身体能力に秀でている事しか取り柄のない自分は、 相手が特殊能力を使う前に仕留めてしまうのが一番だ。相手は消耗しているとはいえ、潜在能力で言えば種族で一二を争う実力の持ち主でもある。不意を突くしかこちらに手はないだろう。
構えも何もしていなかった姿勢から、筋肉に無理を言い相手の方へと踏み出す。
背を手すりに預けた相手は驚いた表情を浮かべているだけだ。
いけるか、と思いつつ距離を詰める。
ぐ、とナイフを握る手に力を込め、もはや目前に迫った相手の胸に突き立てようとする。しかし、

「…っ!」

振りかぶった腕は僅かな手応えだけを残して空を切った。
同時に耳に聞こえてくるのはキィ、という鳴き声と大量の羽音。
そこにいた青年の姿は無く、大量の蝙蝠が隣のビルへと移っていく。
そして蝙蝠は一か所に集まり、その中から現れるかのように青年がビルの上に立った。
しかしその姿が蝙蝠に姿を変える前と違い腕から血を滴らせているのは、

「…くそ」

こちらのナイフの僅かな手応え、一匹の蝙蝠のせいだろう。
仕留め損なった、という思いと共に、暴れるそれを一瞥しそのままナイフで床に串刺しにする。
身体の一部を切り取られた事になる相手は、こちらを顧みずにまた隣のビルへと逃げようとしていた。
そのまま逃げようと、滴った血で後を追う事は簡単にできる。
姿を人間以外に変えられてしまえば出来なくなるが、相手にそれほどの余力が残っているとも考えにくい。 少なくとも全身を別の姿に変える事はもう出来ないだろう。
ここ一カ月、それだけの期間を要してあいつをここまで追い込んだ。
その必要ももうすぐ無くなる、そう思いつつ手すりに足をかけ隣のビルに飛び移る。
同時に服の裾からナイフを出し、そのまま相手の足もとに投げつけた。
それで少し足を止めたところをねらい、もう一歩踏み込めばもはや相手の背後だ。
相手が振り向くよりも早く、再び筋肉を酷使。
相手の退路を断つためには再び隣のビルへ渡らせない事が重要だ。かつダメージも与えたい。
踏み込んだ勢いを殺しつつ、右脚を軸にして身体を回す。
反時計回りに身を回し、相手の右脇腹に叩き込むのは左脚だ。
今相手の右腕は、負傷した左腕を庇っているため脇腹へのダメージを軽減するものは無い。
無理やり入れた回し蹴りだが、相手の軽い身体を吹き飛ばすには十分だった様だ。
左へ吹き飛ばされた彼は給水タンクを囲うフェンスにその身を打ち付ける。
網が揺れる音と彼が咳き込む音が響くが、街の喧騒とは遠い場所だ。
誰か人が聞きつけてくる心配もない。
立とうとしても膝に力が入らず、その場で足掻く彼を一瞥し、
コンクリートの床に刺さったナイフを抜き取る。
あっけないものだ、と思うのは彼を追っていた一カ月が長かったからだろうか。
そして彼は相手の胸めがけて腕を振り下ろした。

 

 

 

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