01_>>Ⅰ

 

 

 

 

 じゃあな、と声が響く。
声の主は俺で、向かう先は帰ろうとしている後輩だ。
場所は住宅街の外れにあるコンビニ前。時刻は深夜を過迎えている。
さすがに近隣住民に迷惑な声量だったか、そう思いつつ後輩を見れば案の定彼もそう思ったようで眉根を寄せている。次いで、

「先輩…そろそろテンション下げてくださいよ、ほんと」
「うっせえな、こちとら研究に一区切りついてハイテンション極まりないんだよ
 ついにあの嫌味教授から離れられるぜ…!脱多忙!!」
「面白いくらい気に入られてましたよねえ、今回」
「まぁ、俺の才能を求める気持ちは分からんでもないけどな…」
「あいかわらず先輩も十分ウザいですがね、いい勝負なんじゃないでしょうか」
「誰と誰の何に於いての勝負だよ」

行間読んでください、と続けた後輩に更に絡もうと口を開いたとき、

「うわ、と、ちょっと待ってください、電話」

と後輩がポケットから携帯を取り出し電話に出る。
なに、とぶっきらぼうに対応するその素振りは普段後輩が表に出しているものではない。
口調からして親だろうか。実家ぐらしは面倒臭えなぁと思いつつ眺めていると
後輩が口パクで『すいません失礼します』と伝えてくる。
なにか慌てた様子だったので急ぎの用だったのだろうか。
しかし時間帯的に単純に叱られただけなのか。

「おう、気ぃつけて帰れよー」

彼が親に叱られている所を想像して、少し笑いがこみ上げたが耐えた。
いい年して、帰りが遅いとか怒られんのかなーと思いつつ
頭を下げつつこちらに背を向ける後輩を見送る。
軽く手を振る俺に後輩が苦笑を返した所で、俺も傍らに停めていたバイクに跨った。
そのまま携帯を開き時間を見れば、もうすぐ三時を過ぎようとしている。
これは寝るまでに夜が明けるな、と思いつつメットを被りエンジンを掛ければ、深夜の住宅街に響き渡すべきではない音が遠慮なしに響き渡った。

   ■

 コンビニからバイクを走らせて5分。
駐輪場にバイクを停める頃には俺のテンションも大分落ち着いてきたようで、流石に眠気が襲ってきていた。 く、と伸びをしつつ見やる駐輪場は、入口付近に有る街灯しかそこを照らすものがなくかなり薄暗い。 駐輪場内にも蛍光灯が有るのだが、俺がこのマンションに越してきてから新しく補充された記憶は無かった。度々管理会社のやる気のなさを疑うが、自分自身はさほど不便を感じていないのでスルーしている。
 あえて文句を言おうとするのなら、

「(…ここの雰囲気…ほんと似てるよなあ)」

 思い返すのは幼い頃のことだ。
その頃住んでいたマンションの駐輪場も明かりが少なく、いつも薄暗かったように思える。
俺はそこで、家族には内緒で捨て猫を飼っていた。
黒い、まだ小さな猫だ。
それを駐輪場の暗がりで、ダンボールの中に寝床を用意してやって。親に言っても飼わせて貰えないことは確実だった。運のいい事に(家庭環境的には宜しくないが)子供に余り関心を持たない親だったから、夜中に家を抜けだして様子を見に行ったりもしたものだ。さすがに小学校低学年時の記憶という事もある。猫の顔を明確に思い返すことは出来ないが、当時の雰囲気はよく覚えていた。
しかしその猫も、

「(結局死んじまったしなあ、幼心を傷つけやがって、あいつは)」

今もそのことを引きずっているわけではないが、黒猫を見かけるとあいつを思い返す事が多い。
マンションの前で車に轢かれていたあいつ。嫌な思い出であることは確かだ。
夜中に帰ってきて、この薄暗い駐輪場を見ると2回に1回はその事を思い出す。
…それを思えば十分引きずっているような気もするが。
恐らく俺が捨て猫や捨て犬を拾っては、飼える人間を探すのもその思い出に起因しているのだろう。
捨てられている動物を見ると、つい放っておくということが出来ない。
そのうち、何かしらペットは飼いたいと思っているのだが、いま住んでいるマンションはペット禁止だ。
次引っ越すとしたらペット許可の物件だな、しかし次というのはいつになるか。
来年は卒論だしなあ、と思った所で、自分が考え込んでいることに気づいた。
深夜の薄暗い駐輪場で、腕を組んで考えこむ男。不審者極まりない。
考え事なら部屋まで帰ってからにしろよ、と自分にツッコミを入れつつバイクから離れれば、

「……ん?」

 駐輪場の暗がりで、何かが動いた気がした。
奥まで届く光は殆ど無いと言っていい。
それでも暗闇に慣れた目で多少は暗がりの中を見通すことができる。
目を凝らしてよく見れば、駐輪場の一番奥、なにも停められていないスペースで再び何かが動いた。
なんだ、と思いつつそちらに歩を進める。
しかし、

「(いやまて無視という選択も)」

犬猫ならまだいい。むしろ歓迎する。
もしそうでは無かった場合の話だ。
先に言っておくが、俺はけして霊的なものの存在を信じているわけではない。
わけではないが、この空間はそういった現象が起こっても違和感のない雰囲気だ。
薄暗く、たまに街灯がチカチカと点滅する駐輪場なんぞ、格好の餌食なのではないだろうか。そういう生物(?)にとっては。
また明日確認する手もある、むしろその方が

「………っ!」
「うわ!」

突如、息を詰めるような声に続き、激しく咳き込む音が聞こえた。
もちろん音の源は俺が今向かい合おうとしていた暗がりからだ。
こちらからはまだ自転車の影になって咳き込む音の主は見えないのだが、

「(…人、か?)」

咳き込む音の後に、ひゅ、と苦しげな呼吸音も聞こえてくる。
まじかよとかなんとか思いつつ、先程まで足を進めるのを躊躇っていたのも忘れ、暗がりに歩み寄る。
自転車を避け覗き込めば、

「っうお、お前、大丈夫か?」

駐輪場の壁に背を預け、力なく俯いている青年が一人。
脚は投げ出され、右腕を庇うようにしている左手にも力はない。
そして何よりも庇われている右腕に滲んでいるのは血ではないのだろうか。
暗がりでも分かる程度といえば、相当な怪我だろう。
これはまた訳有りな雰囲気漂ってんな、そう思いつつ青年の傍らにしゃがみこむ。

「おい、大丈夫か、起きろー」

こういう時あまり身体は揺らさないほうがいいのだろうか。
そう思いつつ、遠慮がちに軽く頬を叩いてみる。
黒髪の、薄着の男だ。近頃は涼しくなってきたからそんな格好では風邪を引くのではないだろうか。
そんな俺のささやかな心配も知らずに、青年は意識を取り戻そうとはしない。
なあ、と再び声をかけ、今度は少し強めに頬を叩く。
すると、青年の瞼がゆっくりと開き、重そうに顔を上げこちらを見た。
その時、男にしては白いな、とか、こいつ顔色悪すぎだろ、とか脳裏を巡っていたどうでもいい思いが全て消し飛んだ。

 
   ■

 最初に抱いたのは強烈な既視感。
なにか知っている気がする、という思い。
しかし、青年に会ったことは無いはずだ。
確実にこの青年とは初対面だろう。
見たことがある、とか、聞いたことがある、とか、そういった部類のものではないのだ。
これは多分、

「(………あいつだな、似てるの)」

雰囲気がすごく似ている。
一目見てそう思ったのだから確実に似ているのだろう。
俺の記憶の中には雰囲気しか残っていない、あの黒猫に似ている気がする。
ああ、絶対、この状況を未だ把握していない表情だとか、ボロボロで落ちている所とか。
まとっている雰囲気だとかがあいつそのものだ。
ふ、とそう結論が出た時点で笑みが漏れる。
なんなんだ、人間のくせに猫に雰囲気そっくりなコイツは。
いきなりニヤニヤと笑い出した俺を、その青年は眉根を寄せて眺めている。
そんな彼に、俺は未だ笑みを含んだ声で、

「よし、意識は有るな。名前言えるか?ここどこか分かるか?」

先程からこちらをぼんやり(若干眉間に皺が寄ってしまったが)と見ているだけだった彼は、俺の呼びかけで意識がはっきりしてきたのだろう。やっとこちらをはっきりと認識したようで、え、と声にならない声を発し、

「ごほっ」
「おいおい大丈夫か?とりあえずこれ、飲みかけで悪いけど飲め」

盛大に咳き込みだした彼に、鞄から取り出したペットボトルを手渡そうとする。
しかし青年の差し出した、茶を受け取ろうとする左手が余りにも頼りない。

「お前それ握力あんのか?持てるか?」
「ん、だいじょ…ぶ」

咳の合間に搾り出された言葉を信じて彼の手に茶を預けるが、想像通りペットボトルは滑り落ちそうになってしまう。ほらみろ、と思いつつ左手で青年の手をサポート。右手でキャップを開けてやる。そのまま口元に近付けてやり、ゆっくりと青年が茶を飲むのを眺める。さすがに、猫レベルの人間は全部信用できない的警戒心は持っていない様だ。むしろここまで傷ついているからこそ警戒心が働いていないのだろうか。
何回か、かすかに青年の喉元が動き茶を飲んだことが見て取れる。
は、と短い息を吐いて彼は口元を離したが、ペットボトルの中身は殆ど減っていなかった。

「もういいのか?そんだけで大丈夫か」
「…だいじょう、ぶ。ありがと、えっと、あの」
「おし、じゃあどうする?救急車呼んでやろうか?」
「え、や、」
「救急車嫌なら連れてってやるし…って、この時間帯病院ってどうなってんだっけ」
「いやあの、ほんと、大丈夫、だから」

そういうのはちょっと、と口ごもる青年の姿は、けして大丈夫そうな物ではない。
半分ほどしか入っていないペットボトルすら持てない男のどこが大丈夫なのか、そう思うが、

「じゃあアレか、やっぱりワケアリな人か?お前」
「え、やっぱり、て」
「そんなボロボロな格好してるくせに病院は嫌だってお前、訳有りですって言ってるようなもんだぞ?」
「う…」

最初は驚いた表情を浮かべた青年も、こちらが諭すように言えば、眉根を寄せ言葉に詰まる。
恐らくこの状況下、どうするべきかを考えているのだろう。
そんな状態でいくら考えようと最善の策は思いつきそうにないのだが、そう思う。
しかし考えるなというのも酷か。
ワケアリな人間が協力的な他人を前にした時にとる行動は、大体だが予測できる。
その人間をどう利用して自分に好機が舞い込むか考える奴。
もしくは、その人間を巻き込まないようにどう立ち振る舞うかを考える奴。

「(もしくは俺の想定外の何か、だろうし)」

いやこれ予測できるって言わねえな。
そんな事を考えつつ青年の顔を覗き込む。
彼は少し身を引き、目を逸らしつつ、

「あ、の…俺の事は放っておいても構わない、から」

見なかったことにして帰ってくれ、そう続けた。
…ほほう。
そういう判断を下したか、と思う。
ぐ、と左手でこちらの肩を押して遠ざけようとしてくるが、生憎そんな力で押しのけられる俺ではない。というよりもその力加減では子供でさえ押せないのではないか。
それは、青年が外見通りギリギリの体調で座り込んでいることを如実に表してきた。
どうしてやったものか。
傷ついた人間を放置して安眠できるほど、他人がどうでもいい人間では無いと自負している俺だ。
もし落ちていたのが酔っ払ったオッサンだったら無視していた所だが。
自ら立てそうにもない人間を無視出来る気はしなかった。
それに、なによりも

「(…似てるし、しゃあねえ)」

これだけ近い雰囲気を持っているのだから、多分捨て猫を拾う気持ちで大丈夫だ。うん。完璧な理論。ツッコミはこいつを家に持って帰るまで保留だ。
よし、と一言つぶやく。
帰ってくれ、と言われてから黙っていた俺を見る青年の目は訝しげなものだ。
きっと何考えてんのか分かんねぇんだろうな、そう思う。
訝しげなその目に笑いかけつつ、

「とりあえず俺んとこ来い」
「………は…?」
「なにかしら病院行けねえ事情が有るんだろ?とりあえず体調良くなるまでうちで養生すりゃあいい。 良くなったら好きに出ていけばいいし、俺は理由も聞かねぇし」

結構良い提案だろ?と続ける。
ほら、と怪我をしていない左腕を掴めば、

「いや、ちょ、待って」
「何をだよ。我ながら良案だと思うんだけどな…お前に損はないだろ?」
「…や、迷惑かけるだろ、…君に」
「お前じゃなくて俺だったらいいんだよ。ワケアリの時は最大限他人を利用しろって」
「…君は何か、経験者なのか…?」
「おいおい人聞き悪ぃなあ。真っ当な人生送ってるって。あ、ていうかそんな俺が信用ならない?そういう意味での拒否?ちょ、ショックだわそれ…」
「ち、違うけ、ど…」
「じゃあいいだろー?」
「でも」
「いいから!俺は今日こんな深夜まで起きてて凄ぇ眠いのに、怪我人捨てて帰ったら寝付き悪くなるだろ?俺の安眠確保の為にも来いって」
「……………」

警戒してるなあ、と青年を眺めつつ思う。
そういう猫っぽい所が更に連れて帰ってみたくなるのだが、まぁ流石に分かれというのは酷だろう。
黙りこくってしまった青年に向かって俺はもう一度笑みを浮かべる。そして、

「俺は速水涼。お前は?偽名でも可」
「………鈴原…」
「よし鈴原。いい加減諦めてうち来いって」
「…なん、で」

どうしてそんなに構おうとするのか、そう訝しげな目が告げてくる。
そう思う気持ちも分かる。俺としても、この落ちてる猫は拾いたい精神を理解してくれとは言い難い。
しかし、こういう時に嘘を吐いても更に懐疑を生む恐れが有る。
やはり素直に言うべきだろうか。

「なんでってお前…えーとなあ、アレだ。……趣味…?」
「え」
「いや待てそういう趣味じゃない絶対今お前は誤解した」
「じゃあどういう…」

確実に今ので自称鈴原の警戒心が跳ね上がった。
俺にその変に落ちてる男を拾って持ち帰る趣味はない。断じて。
捨てられた犬猫じみた生き物を拾いたがるだけだ。
素直に伝えたというのに警戒心アップとは畜生め…
そう心中でセルフ突っ込みを入れつつ、

「犬猫拾って里親探すのが趣味なんだよ。ほら、良い奴っぽいだろ?」
「おれ人なんだけど…」
「たまに人間も拾うから気にすんな。身を隠さなきゃならない奴とか、家出女子高生とかな」
「えっ女子高生とか犯罪だろ」
「食い付くのはそこか!?一線は越えてねないからセーフです!丁重に家に返したっての!」

だから、と続ける。

「そういうので慣れてっから、安心しろって」

な?と青年の顔を覗き込めば、再び目は逸らされたが、

「……そこまで言うなら…」

軽い頷きと了承の言葉は得ることが出来た。
よし、野良猫一匹ご案内。
こういう生き物は懐柔に懐柔を重ねれば慣れてくれるものだ。
この拾い癖もなんとかしなきゃならんなあ、そう思いつつ笑みを浮かべる。
いかにも普段から人を拾っている風に言ってみたが、実質拾ったのは二人だけだ。
過去に拾った家出女子高生とDV彼氏から逃げてきたお姉さん、いい前例になってくれた。ありがとう。

「よし、んじゃあ立てるか?」
「…怪しい気がする」

青年の脚をまたいで、腰あたりまでしかないトタンの壁と鈴原の間に再びしゃがみこむ。
次いで、彼の左腕をこちらの肩に回して、自分の左腕は鈴原の腰に。

「とりあえず立ってみるぞー」
「了解…」

ぐ、と脚に力を込めれば、思った程の重量感も無く鈴原を立ち上がらせる事が出来た。
しかし立ち上がりきった瞬間鈴原の膝が崩れ、

「うおっ、って痛!」

思わず掴んだトタンの裏側に釘が突き出していたらしい。
指に鋭い痛みが走り鈴原を支える事が疎かになるが、どうにか持ちこたえた。
いきなり立たせたから立ち眩みにでも襲われたのだろうか。
ごめん、と呟く鈴原は再び意識が朦朧としてきたようで俯いたままだ。
彼の左腕を持ち安定性の強化をはかろうと手元を見れば、

「うっわ血出てるよ…ついたらゴメンな」

人差し指の第一関節下。その辺りから血が丸く吹き出している。
どんな釘が出ていたのかはわからないが、帰ったら消毒しておこう。
破傷風ってこういうのから成るんだよな、そんな事を考えていると、

「……………」
「お?どした?」

鈴原がぼんやりとした目でこちらの手を見つめてきた。
どうしたのかと見ていると、こちらの肩にかかっている左手を動かしす。
それは俺の手首を掴んで彼の方へと押しやった。
ついで彼はそれを迎えるように身を乗り出し、

「ん」

人差し指の血を舐め上げた。
そのまま軽く吸うようにされ痛みが走る。
ざらり、と舌の感触が指をなぞっていく。
ええどうした大丈夫か起きろ、そう思ったのも束の間、

「………ありがと」

彼はそう呟いて意識を失った。

「…おお!?」

突如力を失った鈴原の身体を支えようと、再び駐輪場にしゃがみ込む。
幸い彼も俺も勢い良く地面へ倒れこむ事はなかったが、心に残るこのなんとも言えない気持ちは何だ。 舐めるなよ。人の血を。いくら意識が朦朧としていようと。そしてそのタイミングで例を言うのはどうかと思う。どんなタイミングだ。全体的にびびるわ。マジで。

「はあ……」

そう溜息を吐く。
次いで、

「背負う、か…!」

さすがに襲ってくる睡魔の威力が増してきた。さっさと帰って寝てしまいたい気持ちも有るが、拾ってしまった立場上そうはいかない。幸い鈴原の体格は平均と比べれば宜しいものではなく、先程手を回した腰の細さから重くは無いだろう。
 仕方ねえ、そう呟いて俺は寝息をたてる鈴原を背負いにかかった。

 

 

 

 

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