01_>>Ⅲ

 

 

 

 

 

 

 鈴原を拾ってから一週間が過ぎた。
ガサ、とコンビニの袋を手に自分の部屋を見あげれば、明かりがついているのが視認できる。珍しい光景だなあと思いつつ、マンションの中に入り、ノリと勢いで拾った奴に思いを馳せる。今のところ、想像していたような茶番(例:家に突如あっちの筋の人が押しかけてくる。ある日突然争ったような痕跡だけを残して鈴原の姿が消えている、等)も無く平和そのものな同居生活だ。しかも、暇な時彼は俺の持っている本を読んでいるらしく、(嬉しい事に俺と彼の趣味は合うようで)何度か話題に花が咲いたことも有る。今日コンビニに寄ってきたのも、彼が読んだ本に出ていたカステラが無性に食いたくなったからで、それについてもあちらは同じ感想を示していた。男二人で甘いものをつつく悲しい絵になるが仕方ない。晩飯後にでも食べるとしよう。
そんな事を考えていればもはやエレベーターの表示は目的の階数を指している。
そのまま少し歩けば我が家にご帰還だ。鍵を開けドアを引き、

「ただいま、鈴原、開けてくれー」
「あ、おかえり」

チェーンだけが掛かったドアをガチャガチャと引く。
流石に(何からなのかは不明のままだが)見を隠している人間を保護している現状だ。戸締りだけはしっかりしておくか、という事で、俺が大学に出かけた後はちゃんとチェーンもかけさせるようにしている。最初俺がその提案をした時は、

「えっそんな事しても見つかった時には意味ないと思うよ、ドアとか…」

と鈴原が不穏な口ごもり方をしたので深くは考えないようにしている。気分だ、気分。というよりもドアが意味を成さないような相手になんて追われないで欲しいのだが。そんな事をつらつらと考えていると、チェーンを外した鈴原がこちらを胡乱げに見上げてくる。

「えっと…どうした?閉めるか?」
「いやいやいや俺開けてって言ったじゃん、なんで閉めるんだよ」
「入って来ないからだろ…自分の顔見て微妙な表情浮かべられたらそりゃあ閉めたくもなるよ」
「それは俺の知らないお前の過去及び言動から出た微妙な表情なので
 俺に責任は有りません、お前のせいだ!」
「ちょっと意味分かんないこと言うの止めてもらえますか…」
「くそっ先にドン引きしたほうが勝ちだとでも思ってやがるな…」

お前追い出すぞ、という反撃は冗談にならないので心の中に留めておく。あまりドアを開けないように身を部屋に滑り込ませ、鍵をかけ直す。ガサ、とコンビニ袋が引っかかるが、こちらに引き込み背後に立つ鈴原に手渡せば、

「あ、けっきょく買ってきたんだ」
「昨日あんだけ盛り上がればな。お前も食いたいっつってたし」
「わあいおとーさんありがとおー」
「てめぇ俺より歳上なんだろ」
「無論」
「無論じゃねえよ!子供やるならやり通せよ!」

はいはい、と言いつつ鈴原は部屋の奥に戻っていく。
話してみれば、当初あんなにも俺の部屋に身を隠すことを拒んだ時と違い、普通に冗談も交わせるような人間だった。一週間も経てば彼もこの生活に慣れてきたようで、自分の部屋のように振る舞うことも多くなってきた。それに対して、気の合う友達が一人増えたという感情を抱きつつ、自分も靴を脱ぎ部屋の奥へ向かう。

「今日の晩飯なに?」
「カレー。昨日の残り」
「おおお手抜きですな…」
「作りすぎたんだよ、昨日」

そうこちらに返しつつ、キッチンでカレーを温めているであろう青年をちらりと見る。
それと共に、普段より片付けられた部屋が目に入った。基本的に掃除洗濯は一日中家にいる鈴原がやってくれている。また、料理の腕も悪くはないし食えないものが出てくるわけでもないから、最終的に料理も鈴原がすることになった。半家政夫状態だ。そういったことを面倒臭がる俺としては凄く有難い。
とりあえず鞄を置き、机の上に出しっぱなしの本を脇に寄せる。ついで、

「なんか手伝うか」
「ん、別にー。ていうか来られても台所狭いし」
「狭い物件ですいませんねえ」

そう言いつつもキッチンまで行き、入り口付近の壁にもたれ掛かる。こちらの提案を拒否した本人は、ちらりとこちらを見ただけで何も言ってこなかった。こちらの相手を面倒臭がっているのがなんとなく感じ取れるが、こちらとしては少し言いたい事が有るからこそ彼の顔が見える位置に立っている。
そして鈴原を眺めつつ言うのは、

「なあ、お前なんか顔色悪くね?大丈夫なの?」

気のせい?と続けて鈴原を見る。
彼は今こちらに背を向けているので再度顔色を確認することは出来ないが、彼の色の白さを認識することはできる。うなじから除く肌は、お世辞にも健康的とは言えない色をしていた。
むしろ病的にまで見えるその白さは、蛍光灯の下ではよく分かる。
近くで見れば薄く血管も透けているかもしれない、そう思う。
姿を隠さなければいけいない身分なのは重々承知しているが、外に連れ出して太陽の元に置きたい気分になる人間だ。絶対に今の生活では早死しそうである。そんなことを思われているとは微塵も感じていないであろう鈴原は、ちらりとこちらを見て、

「そんな、心配になるほど悪い感じなの?」
「いやまあ大体は」
「…気のせいじゃないかなあ、俺これくらいがデフォルトだし」
「おっまえ不健康すぎんぞそれ…その状態を初期設定にしてしまうなよ」
「大丈夫だって。一回死にかけてたくらいで心配しすぎだと思うよ」
「いやいや普通心配するからなそこは!!」

そうかなあ、と呟く鈴原はボケているのか天然なのか。
分かんねえ奴だなと思いつつ彼に近づけば、カレーの皿を渡されて、

「はい、君の分」
「……あざーっす」

近くで見れば、やはり顔色が悪くしか見えない鈴原を見やる。
彼を拾った時は、暗がりでよく分からなかったが、顔色は悪かったであろうことは予測できる。
しかしその後の数日は、人と比べれば色が白いものの、顔色が悪いと感じるような事は無かった。
それなのに今日の鈴原は昨日一昨日に比べて確実に体調が悪そうな顔色だ。
少し眼の下に隈も出来ているし、その目も少し眠そうに見える。
しかしそう見て取れる外見をしていても、彼の立ち振る舞いからは体調の悪さを見て取ることが少しも出来ない。体調が良かったであろう数日前と同じような雰囲気だ。もしかしたら、その顔色がデフォルトというのも本当なのかもしれない。常に体調が悪いから多少の事なら慣れている的な。

「(そのほうが駄目だろ確実…!)」

なんだかなあ、と思いつつ皿を置く。
そして自分の分の更にカレーをかけている鈴原の額に右手を寄せ、

「っうわ…!ちょ、なに」
「べっつに熱は無いんだよなあ」

厄介な、と続けつつ、こちらを見た鈴原を見返す。
少し眉根を寄せたその表情は、言葉に出さずともこの手をどけろと主張してきた。
君よりは年上だから、と告げられてから一週間、外見と実年齢との謎のギャップにもなれてきた最近だ。
そんな年齢不詳の彼は、俺から見ればどう見ても同い年かそれ以下にしか見えない容貌である。身長は大体俺の目線よりも少し下程度。低いという訳ではないが、その身体の細さからか大きいという印象を人に与えることはまず無いだろう。
 年上に対してそのような子供に与えるような態度を取るのはやめろ、と少し照れを帯びた口調で行ってきた一週間前に対し、今ではこちらに対して蔑みの眼差しを向けてくるレベルにまで打ち解けている現在だ。当初はあんなにも警戒心を顕にした猫のようだったのに、意外と環境適応能力は高いらしい。
 現在も進行形でこちらに冷たい視線を送ってくる彼に対し、照れるくらいが可愛いんだけどなぁと思いつつ、手を額から離しそのままの動作で前髪を梳く。そして頭を軽く叩けば、されるがままだった鈴原が、

「君は…俺を何だと思ってるの?ぶっちゃけ引く…」
「んなイヤそうな顔すんなって、ほら、スキンシップとか大事じゃん?かわいがってやってんだよ!」
「…あのさ……真剣な話さ…。言っとくけど俺、そういう趣味無いしね…?」
「あっれえお前それかなりブっ飛んだ誤解じゃね!?てか誤解だ!」
「へぇ…」
「うおお信用してねぇこいつ!訝しげな顔をするな!俺にも断固そんな趣味ねえよ!!」
「だって、そんな趣味も無いのに男の頭撫でるとか無いだろ…」
「目を逸らすな!あと身を引くなよ!なに身の危険感じてんだお前は!」
「ちょっと、でかい声出すのやめて貰えますか」
「ついに敬語…!心の距離が…!!」

…よし、一回落ち着こう。
このまま一方的にハイテンションで居れば確実に不本意な印象を抱かれる事になるだろう。できればそれは避けたい所存だ。別に俺にそういう意図が有るわけでは無いし鈴原をどうにかしてしまおうとしている訳では決して無い。

「…あのな鈴原、落ち着いてよーく聞け」
「俺はまず君に落ち着いて欲しかった」
「いきなり離しの腰を折られた上にかなりの辛辣加減な…!」
「いやちゃんと聞くから!もとのテンションに戻ろうとするなよ」

ああもう、と面倒臭いものを見るような目で見られたが、そもそも言い出したのは彼なのだからそこんところ考慮して欲しい次第である。なんなんだ俺、多少なりとも虐められてねえか。

「えっとな、だからな鈴原?」
「…なんでしょう」
「俺がお前に対してこうもフレンドリーな理由はな?」
「うん」

なんと言うのがベストだろうか。
そもそも俺は、この男を捨て猫イメージで拾ってみた訳である。
最近では素直に家事をこなしてくれる彼を見つつ、猫が人になったりしたらこんな感じだろうなぁとか狂った想像をしていたくらいだ。しかしこれは鈴原に対する好意ではなく、歴然とした猫好きが所以である。猫ならなんでも良いのだ俺は。残念なことに。 しかしそれを説明するのにも比較的時間を食われるだろうし、正直な所成人男子を猫呼ばわりとは如何なものか。もう少しオブラートに包む様な言い方で。そして出来れば一言で。

「お前のこと、ペットみたいなもんだと思ってるからさ」

体調気にしたり頭なでんのも当然だろ?と続ける。
どうだ完璧だろう、そう思いつつ鈴原を見れば更に身を引いていて、

「えっと…あの、俺ほかに隠れ家みつけるしここ出て行くな!」
「ってえええ!?なんでだよ!!」
「えええ!?じゃないよ!ちょっと自分の言ったこと吟味しときな…!」
「はァ!?ペットのどこが悪いんだよ!」
「意味分かんないとこが特に!なんなの君、俺のこと飼ってるイメージだったの…!?引くわ!」
「とりあえず落ち着け!なんていうか弁解しきれねぇが少なくともお前の誤解は解けていない…!」
「人をペット扱いとかさ…ヤバイ意味にしか取れないんだけどいくら落ち着こうと!」
「だーかーらあー!」

これだけ騒いだのだから近隣住民から苦情が来てもおかしくないな…その考えに至ったのは、お互いにハイテンションで俺の性癖及び鈴原に対する扱いについて言い合った挙句、疲れたしもうどうでもいい…と鈴原が呟きこの不毛な論争が終わった頃だった。ついでに言えばその頃にはせっかく温めたカレーも冷めていて、レンジで再び温め直すという二度手間な事をする羽目にもなった。

 

  ■

 

 その日の夜のことだ。俺は、微かな物音で目を覚ましていた。
一人暮らしの身ならば気にもなることだが、同居人のいる今それはもはや日常になりつつある。自分以外が立てる物音で意識が浮上したことに懐かしさを覚えつつ、ふいに起こされた身体は再び眠りにつこうとし始める。意識もそれに全面同意を示したが、わずかばかり寝苦しさを覚え、寝返りを打とうとするが、

「(…せま)」

ぐ、とこちらの側面を押すものがある。それに対し疑問を抱いたのも束の間、自分が寝ているのがいつものベットは無いことを思い出した。そういえば自室は顔色の悪かった鈴原に明け渡したのだ。自分が今寝ているのはソファで、場所はリビングだ。こちらを圧迫しているのもソファの背だろう。断固として家主がソファで寝るべきではないと主張する彼を無理矢理寝かしつけるのには骨が折れた。その事に苦笑を浮かべつつ身をよじれば、再び何か物音が聞こえる。
やはり何か調子が悪いのだろうか、無理しやがってと脳裏に浮かぶのは鈴原だ。あいつ猫の癖に遠慮しすぎな所有るんだよなあと半分眠っている頭で考える。どうしたものか、そう思った時に聞こえた衣擦れは、想像よりも近い場所から聞こえてきた。

「(…あ?)」

その事に微かな驚きを得つつ、先程よりも軽くなった瞼を開ける。
最初に焦点が合ったのは薄暗い天井だったが、

「え、と…鈴原…?」

寝起き特有の掠れた声だ。そう自己判断する俺が見たのは、右手をソファの背に付きこちらを覗き込む鈴原だった。左手をこちらが枕替わりのクッションを置いている肘置きに付いているので彼我の距離はかなり近い。それにも関わらず、目を開けたこちらに対するリアクションを彼は何も示さずに、こちらの顔を覗き込んだまま微動だにしない。

「ちょ、おい、どした?」

彼がこちらを見ているのは確かだが、その焦点が合っていない気がするのは気のせいだろうか。暗がりでよく分からないが、少なくとも彼が正常な状態ではないことは何となく伝わってくる。じわり、と嫌な汗が出たのはそれが原因だろうか。場をもたすように笑みを口元に浮かべようとするが、確実にそれはひきつっているだろう。
 どうしても、夕食時に終点の見えない舌戦を繰り広げた人間と、同一人物だという事実が受け止められなかった。今が何時かは知らないが、少なくとも数時間前には外観から見て取れる程には感情を表に出したいた人物だとは思えないほどの無反応加減。それはもはや相手に対する心配よりも、ただ単純にこちらに恐怖を与えてくるもので、

「すずは…」

その恐怖を払うように、再び声をかけようとした時だ。
サイレントモードにしていた携帯の画面が、メールの受信を知らせ、光り出した。
スライドのそれはある程度の明かりを部屋に与え、

「……っ」

彼の表情をこちらに確認させた。
少し細められていた目は感情を含んでおらず、冷たいものだ。ちら、と携帯の明かりが点滅し彼の瞳にも光を与えるが、それはむしろ暗闇で光を反射させる獣を彷彿とさせる。おいおい大丈夫か、という思いに支配されるが、それは若干に自分の身を案じたものだった。
とりあえずはなんとかしなければ、そう思いつつ口を開こうとした瞬間、

「……ぁ」

ふ、と鈴原と目が合った。
驚いたような表情を浮かべる彼は、

「や、ちょ、ごめ」

なんでもない、と続ける。
慌てた動作でこちらから離れようとするが流石の俺も引き止める事ができない。
そのまま俺から1メートルほど離れた彼はそのまま顔を背けキッチンの方へ向かう。

「えっと…大丈夫、か?」
「た、ぶん…ごめん」

身を起こし明かりの点けられたキッチンに向かって声をかければ、曖昧な答えが返ってきた。
少なくとも意思の疎通が可能なことに安堵する。が、しかし

「お前、さっきの、いや、聞かないほうが良いか?」
「いやいやいや、べつに何でもないから!ちょっと寝ぼけてただけだし」

ほんとか?と問い返すが、返ってくるのはしつこいの一言だけだ。
いくら寝ぼけていただけとはいえ、

「(それにあんだけビビらされた俺は何なんだよ…)」

気にしないほうが良いか、というよりも気にしても仕方が無い事だろう。彼が寝ぼけていたと言うならそれでいいし、そうでないのなら確実にワケアリだとしか思えない挙動だ。深入りはしない、と決めている俺には深く突っ込む権利は無いだろう。
とりあえずはそう見切りをつけ、鈴原が(恐らく)キッチンで水を飲む音を聞きつつ、携帯に届いていたメールを読む。差出人は後輩で、今日は学校に行けないから自分の分の研究を頼むというものだった。ついでに時間を見れば表示されているのはもはや早朝に近しい時間だ。もう一眠り出来る時間は十分に有るが、目は完全に冴えてしまっている今手持ち無沙汰だ。
使っていた薄手の毛布を引き寄せ畳み、脇に置けばする事はすぐに無くなった。
 ふあ、と欠伸をし身体を伸ばす。そのままメールの返信を適当に打ちにかかれば、鈴原の方へ向けていた意識は自ずと無くなっていく。だから、というわけではない。
しかし、鈴原がこちらを見ていたのを、俺は気付かなかった。

 

 


 

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