白昼夢
夏だ。 「な、そう思わねぇ?」 おそらく こいつも死んでしまうのだろう、そう思いながら見るのは机を挟んだ所に居る少年だ。一人黙々と宿題を片付けている彼は億劫そうにこちらを見てから、口にするのは予想通りの突っ込みだった。 「…なにがだよ」 あーはいはい、と投げやりに返事をする。それに対してなにか嫌味を言われるかと思ったが、彼は眉間に皺を寄せただけで何も言ってこなかった。悪いのは明らかに俺だが、その反応と暑さ(大半は後者の所為だが)に溜息を一つ吐いて、視線を彼から外す。ふと見やった先のベッドの上には何故か少女が眠っていた。 「おい、ぼーっとすんな」 「今、ベットでお前の姉ちゃんが寝てた」 は?と彼は嫌そうな顔をして自分が凭れているベットを振り返るが、彼女は既にそこには居ない。それを見て彼は更に嫌な顔をした。眉間に皺を寄せているその表情は、凶悪のほかに言い表せる言葉が無い。 「…お前、どうにかしたのか?姉貴は、」 予想外の事を言われ思わず腰を浮かせようとしたが、机の角に膝が当ってそれは阻まれた。あ、と思った瞬間揺れた机の上でコップが転げる。自分と彼の分二つが机の上を一面麦茶にした。 「馬鹿お前俺の宿題茶ぁまみれじゃねぇか!」 あぁもう、と悪態を吐いて彼は雑巾を取りに部屋を出る。携帯や宿題を出来るだけ救出するが、出来るのはそれくらいだ。あとは麦茶が広がるのを眺めているしかない。手持ちぶさたにコップに溶けかけた氷を戻せば、その冷たさが伝わってくる。その時ふと、視界の端に白いものが掠めた。顔を上げればベットの上に少女が座っている。カーテンと共に彼女が着ている白いワンピースが揺れた。壁に凭れている彼女の顔は、髪に隠れていて相変わらず見えない。ちらちらと露になる唇は、少し笑っている気がした。 「なぁ、俺さあ、結構キテる気がする」 少し間を置き彼が溜息を吐く。次いでへぇ、と一言呟いて、次に発する言葉を探しているようだった。そんな彼を見ながら思いを馳せる。向かう先は彼女だ。確実にそこに居るように見えた彼女。最初は気のせいかと思ったのだが、二度目ともなると如何なものか。 自分から幻覚の話を振っておきながら違う話題を振ると、彼はかなり深刻そうな顔をしていた。鬱陶しそうな顔をしているかと思ったが。しかし実際自分が彼の立場だったら、確かに深刻な表情をするくらいには心配でならないだろう。友達が行き成り幻覚を見だすのだ。しかも自分の部屋で。しかしなぜか自分が言っているとなると、もはや他人事のように思えてくる。そう思考を巡らせるのだが頭からは少女のことが離れない。入院しているはずの彼女は今どこで何をしているのだろうか。そればかりが頭をめぐる。そういえば何故彼は俺の恋心のことを知っていたのだろう。それについて考えるべく後ろに手を付き天井を仰ぎ見れば、視界が揺れた拍子に意識が飛んだ。 「―――」 声が聞こえる。
私が思うのはただただ青く広がる空のことで外に出たときにそれが晴れていたならば誰が話しかけようとその声は私に届かず私の口からは曖昧な相槌しか漏れていないのだろうそう推測するものの推測するだけで私のコミュニケーション能力が自ずと回復に向かうといえば否と言わざるを得ず私は常日頃から周りにいる友人や家族に迷惑をかけていたので悪いとは思っているのだがこの行為はもはや自分でどうにかできるレベルのものでなく半強制的に私はその行動を取らされる、誰に?誰に、誰に?恐らくそれは私ではない誰かで今目の前にいる少年でもなく一体誰なのか
思いを馳せるのは姉の事だ。 「(あんたはなんで死んだんだ?)」 心に浮かぶ言葉も幾度となく考えた事だ。夏のある日、裏山の崖下に打ち捨てられていた彼女を見つけた時からその疑問は途絶える事が無い。行方知れずになって丸一日。こんな田舎では泊まる所も無ければ交通手段すら無い。そんな中彼女はどこに行っていたと言うのか。 「(…崖から落ちていたとは思いもよらなかったよ)」 携帯から目を放し、外に目を向ける。夏の陽射しがひたすら降り注いでいるだけで、変わった所は何もない、普通の田舎の景色だ。時折風が木を揺らし木漏れ日の形を変える程しか見て取れる変化は無いように見える。そこに姉の幻影を見る事は無かったが、思うことを止めることは出来なかった。どうせ事故なんだろう?崖から足を滑らせただけだ。ぼうっとしている姉だったから。そして続けて思う。 「(そうであって欲しいと願うばかり、か)」 もし誰かが姉を殺したのであるというのなら、どうなるだろう。なぜ死んだのか、なぜあんな所で足を滑らせてしまったのかと嘆く母の気は少しでもまぎれるだろうか。やり場のない無念さの矛先を見つけることはできるだろう。父は、必死になって姉を探してくれた近所の人たちは。すこしは救われるだろうか。それでも俺は。 「(…あんたが誰かに殺されたとは考えたくない)」 自分は姉を殺した人物の息の根を止めなければ気がすまないだろう。まるでそうするのが当然であるようにその誰かを殺しにかかる。そうしている自分をたやすく想像できるのだ。脳裏に描くのは、そいつの首を締め上げ呼吸を阻害し、止めきった時は満足げに息をつく自分の姿だ。しかし、 「(そんなこと、あんたの為だけにしたくない)」 ちょっとした反抗心、そこまで考えた時、携帯のバイブ音が俺を思考の海から引き戻した。とっさに手の中の姉の携帯に目をやるが、解約されたそれが電波を受信することはまず有り得ない。音の源はすこし離れた畳の上に放り投げられた自分の携帯だ。ちらりとそちらを見、立ち上がるが億劫だったので寝そべり更に手を伸ばす。うつ伏せで開いた携帯は友達からのメールを表示していた。 「(……………)」 今日遊びに来ることを告げていたそのメールに適当に返事をし、携帯を閉じ推測する。特に様もなく、自分の部屋にあるクーラーの恩恵を受けるためだけにあいつは来るのだろう、相手をするこちらの気にもなってみればいいものを。久しぶりに会う友達に心の中で呼びかける。次いで思うのは自分の部屋のクーラーは壊れているということだ。彼が最後に遊びに来たのは姉が死ぬより前で、そしてまだクーラーが壊れていなかった頃だろう。鬱陶しいほど届くメールもここしばらく全くと言っていいほど着ていないので、とても久しぶりに会う感じがする。しかしいくら久しぶりだといっても、彼の目的は所詮クーラーだ。彼の期待が外れることを知った俺は少し笑みを浮かべ、ざまぁみろと呟いた。
2009.08 |